おとぎばなしのはじめとおわりは読み始めは「むかしむかし」で、終りは「めでたしめでたし」がほとんどであり、これは日本語訳するとどの国の話であってもほぼ統一されている。しかしながら、読みはじめ前と読み終わり後の「はじまりはじまり」と「おしまい」は国や地域によって全く異なる。特に最後の「おしまい」は日本でも地域によって「とっぴんぱらりのぷぅ」、「てっぺんぐらりん」とか「どんどはれ」、「どっとはらい」など様々な形式がある。海外では「はつかねずみがやってきた」などというものもあるなど、その土地の文化や風習によって大きく左右される。この読み手と聞き手のやりとりにはおとぎばなしの世界に没頭するための現実との区分としていろいろな意味が込められており、「はじまりはじまり」の言葉と共に物語の世界へと足を踏み込むいわゆる儀式的なやりとりなのである。また、欧州圏の物語においては「めでたしめでたし」で終わらない(悲劇的な)物語が多いため、最後を濁して「その後はまた別のお話」などと言い、強制的に区切ってしまわれる場合もあったり、「めでたし」になるよう改編を繰り返されたりしたものが多い。代表的なものではグリム童話などがあり、これらにおいては21世紀初頭ごろ話題にもなり多くの関連書籍なども発刊されたが、さらに起源を辿ろうとするならばペローの童話集などが挙げられる。お国柄の違いか、日本は他国に比べると善行を推奨するための幸福譚が多いが、海外では逆に悪事が罰せられる形の教訓談などが多い事に注目できる。しかしながら世界中で同一のモチーフ、アーキタイプを有した話も多く、元をたどれば同様の内容にしか思えない物語が数多く存在する。特に地域環境などが似るほど類話が増えると言う研究もあるが、そもそもおとぎばなし自体が各文化や風習の延長線上にあるものなので、ここでは地域などに左右されないものに的を絞ってみよう。例えば海がない地域で浦島太郎の類話は見つからないようにも思われるが、そもそもが神隠し的な物語であり、異界へ行って帰ってきた男の物語である本筋のみに見出せば様々な類話が見つかるだろう。玉手箱は「過去を振り返る」「警告を聞かないことによる失敗」「異世界からの帰還」と考えれば黄泉比良坂の物語の類型にも見えてくる。黄泉比良坂はギリシャ神話のエンデミオンの物語とほぼ同一の構成で、冥府から脱出しようとする男達の話だが、やぶった警告の内容がそれぞれ異なるところが各地域ごとの差ともいえるだろう。黄泉比良坂では黄泉の食事を食べてしまったことで半分は冥府の住人になってしまい、そのせいで一年の半分を地の底ですごすことになったし、エンデミオンは地上に出るまで振り返ってはならないと言われていたのに助け出した女性の顔を早く見たいあまりに振り返り失敗している。異界から現実に戻る際に我慢が出来ず警告を破る、それによって無事には現世に戻れなかったという一括りの類型とも言える。このほか、同一のタイプに南米系の神話にも類型の物語があるし、イザナギとイザナミのオノゴロ島での石とバナナの件も無関係とは言い切れない。別の例を出すなら末子成功譚と呼ばれる兄が失敗して弟が成功を収めるというパターンも数多く見られる。これには有名なものでは三匹の子豚、山幸彦と海幸彦、山梨とりなどがある。さらに観点を変えれば果実の神聖視という共通概念もまた一連のアーキタイプと見る事ができる。その場合には前出の山梨とりに桃太郎、中国の神仙伝承などがある。白雪姫も食べたのは毒林檎となっているが、実際には眠り続ける魔女の呪いの媒介になったのだが、これには年をとらなくなる不老の効果があったとなっている版もある。このように内容的には世界中で様々な形でアレンジされてはいるが同一の源流を有するものが多い事がこういった例が何十種とあることからも伺えるが、その区切りとなる言葉の差異にいたっては現実へと帰還する読み手と聞き手にとって身近なものを引き合いに出すことにより空想の世界から意識を引き戻すのである。前出のはつかねずみの例えのみならず、欧州圏では特にそういった意味合いが強いと判断できる要素が多分に含まれている。日本においては韻を踏んだり、文脈に繋がらない言葉を用いることで聞き手を思考状態に引き戻すのではないかと言われており、様々な実験によってもこれらに使用される〆の言葉は人の注意をそこに引きつけ、それまでの会話を中断させる効果があるという結果が出ている。これらの物語の最後の言葉も、こういった側面から考えることで本質的には同様のものである事がわかる。つまり、国が違い、文化が違い、言葉が違えどもおとぎばなしは世界共通の概念とも取れる。文化心理学や民俗学人類学などにおいては全人類の記憶の底に眠る共通意識から導き出されたものが根源となる為に同一性が高くなるのではないかという説も上がっている。これは一件飛躍した論理のようにも感じられるが、実際には各方面の専門家のみならず、比較分類学者などの調査からも人類には同一根源を持つ共通意識的なものがある可能性は高いとされ、これらの類話分類においても無根拠ではない事が証明されている。今日でもこれらの研究は続いており、すでに記したとおりのおとぎばなしにおける共通性の解明は進んでいるとされる。特に各時代の文化風習を反映した側面とアーキタイプとなるモチーフを区別して比較研究する分野に関しては近年の発展が目覚しく、今後が期待されている。



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